ひねもす俳句:真夏の陽射し


アゲハ蝶
旅立ちの刻迫りけり揚羽蝶 /勝美

ひまわり
ひまわりのタイトルバック懐かしく /勝美

コップの底の光
セッションのジャズに手拍子晩夏光 /勝美

ウバユリ
手折るには忍びぬ百合の気品かな /勝美

ブラックベリー
すぐり熟る開拓農の丸木小屋 /勝美

2 thoughts on “ひねもす俳句:真夏の陽射し

  1. >旅立ちの刻〜
    さなぎから孵った直後か、あるいは夕立の気配を感じて
    帰り道を急ぐのか?蝶のみぞ知るですね。
    >ひまわりの〜
    ここのひまわりは、随分小さいです。
    その無駄なくらいな力強さがひまわりのアイデンティティーだと
    思っていたのですが、経済活動の波に呑まれてしまったようです。
    >セッションの〜
    実は、これ、自宅の六畳間のちゃぶ台の上だったりします。
    光は、カーテンの隙間から挿してきたものです。
    でも、こんな部屋にいて、遠くからジャズの音が聞こえてくると、
    すごくニューオリンズな気分かも知れません。
    >手折るには〜
    蚊ならペチンと叩けるのに、てんとう虫だと躊躇する。
    そんな感じかも知れませんw
    >すぐり熟る〜
    アメリケンな雰囲気ですね。晴れ空に野原にログハウス。
    馬がデザートに食べちゃうかも。

  2. 「揚羽蝶」が夏の季語。
    赤塚植物園で見かけた、なぜか羽を広げたままのアゲハ蝶。
    羽化したばかりの羽を乾かして、飛び立つところと見立てたわけですね。
    旅立ちの刻が迫る、なんて言われるとアゲハ蝶じゃなくても
    なんだか焦ります。
    『ひまわり』。観たいと思いつつも、まだ観てない映画のひとつです。
    やっぱり観てみようかな。
    でも昔観た映画が懐かしい、としか言ってない俳句ってアリなんですかね?
    と、あえて言ってみたくなりました。
    なんでもないコップとガラスを通した光の写真なんだけど、
    なんかいいですよね。
    そこからジャズが思い浮かぶあたりが作者の個性なんでしょう。
    でも手拍子っていう言葉がちょっとオヤジくさい、かな。
    写真のユリはウバユリ(姥百合)。
    花が咲く頃には葉っぱが枯れてなくなるところから、
    葉(歯)無しの婆さんに例えての名らしいです。
    花自体は、けっして派手じゃない。ユリの中でも最も地味なほう。
    山に行くと自然に生えてたりしますね。
    葉はなくても、すっくと背筋をのばしたこの百合は、
    手折れないですよ。しかもちょっと頑丈そうだし。
    作者曰く、「ベリーは、アメリカの開拓民が、想像されるのです」
    なるほど。やっぱり俳句は、いかに自由に連想するか、
    想像できるかで、描く世界の幅がずいぶん変わるものですね。
    また、受け取る側にもキャパがないとリアルに感じることが
    できないものでもあります。
    だけど、写真の実はブラックベリー。スグリじゃないんだけどな…。

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