ひねもす俳句:ふけゆく秋 2005年11月24日2005年11月24日 pure2 ひねもす俳句 野火止のそぞろ歩きや冬日濃し /勝美 冬の朝血潮漲る掌をかざし /勝美 被写体に移ろふ影や日短か /勝美 石塔の欠けるにまかせ寅彦忌 /勝美 珊瑚樹の実や御利益の降るごとく /勝美 紅葉散る一期一会を旨として /勝美 鐘の音に紅葉散りゆくばかりなり /勝美
>野火止の〜 “冬日が濃い”という表現は、なるほど〜という感じです。 確かに、この朝は、まぶしいくらいの日射しでした。 でも、冬真っただ中。それがビシっと伝わってきます。 >冬の朝血潮漲る〜 実際に、陽があたっていない葉は、紅くなってなかったですね。 もっともっと太陽をつかもうとしている掌でしょうか。 >被写体に移ろふ〜 すごい数でしたね、カメラ持って来てる人。 なんだか、宇宙人がこぞって、計測しに来ているように思えましたw >石塔の欠けるにまかせ〜 宇宙の真理を追い求めた寅彦にとっては、灯籠が欠けようが、 どうしようがたいした問題ではないのかも知れませんね。 >珊瑚樹の実や御利益の降るごとく これだけご利益あるとうれしいですね。 ただ、ご利益を求める人の数も、かなりのもので…w >紅葉散る〜 桜も紅葉も、短い期間を味わうのがイキなのかも知れませんね。 どんどん色づいて、どんどん散って行く。 その時そのものを愛でるのが贅沢というものかも。 >鐘の音に〜 時を告げる鐘の音。時が来たから鐘が鳴るのか、 鐘がなるから時が来たと認識するのか。 とにかく、来た時はどんどん過ぎ去っていきます。 散り行く紅葉のように。 返信
もう冬日か。早いなぁ。私は秋のつもりで歩いていたのですが。 そんなに先を急いでどうするんだ、俳句。 現時点のことを表したらイカンのでしょうか? なんで紅葉は、手を広げたような形になってるんだろう、 と、写真撮りながら思いましたよ。 日照面積を広くするだけなら、切れ込みはいらないですからね。 まさか、カエデ科の葉のきれいな形と色を 人間が大事にするだろうと思ってのことだったりして。 ちなみに私の頭の中では『手のひらを太陽に』がずっと鳴ってました。 このところ陽の落ちるのが早くなって、寂しいような焦るような。 今年は紅葉がいつもの年より遅いこともあって、 この日は待ちに待った撮影日和だったのかも知れないですね。 でも、傍からみてるとちょっと可笑しい光景ではありました。 「寅彦忌」が冬の季語。12月31日を指すらしい。 なので、まだ11月なのに「寅彦忌」では、ちょっと先走りすぎでは?どうでしょう。 作者がこの写真でなぜ寺田寅彦を連想したのかは わからないけど、寺田寅彦の随筆の、淡々とした語り口と 石塔の「欠けるにまかせ」る姿が、重なるようにも思う。 久しぶりに随筆集を読んでみようかな。 珊瑚樹が秋の季語。 房状にたくさんついた小さな赤い実がみごと。 写真のこの樹は、平林寺の松平家の公墓所内のもの。 紅葉とはまた違う赤色が、石色のなかで目立ってました。 なにかホッとするような木でした。 参考URL:平林寺 http://www.linkclub.or.jp/~kiyota/heirinji/heirinji.html まだ紅葉降ってないのになぁ。 もうちょっとゆっくり紅葉の秋を味わいたいのに、 アセらせないでくれと言いたい。 でもホント一期一会。それはたしかにそう。 写真に撮って保存するのは、本来できないものなのかも知れない。 ま、シャッターチャンスも一期一会か。 だからまだ散ってないって。 私が、現在の時にこだわり過ぎてますかね? でもたぶんもうちょっと経ったら、鐘の響きで 紅葉がはらはら散ってしまうようにもなるんだろうなぁ。 そんな風景も冬の一部か。 返信
>野火止の〜
“冬日が濃い”という表現は、なるほど〜という感じです。
確かに、この朝は、まぶしいくらいの日射しでした。
でも、冬真っただ中。それがビシっと伝わってきます。
>冬の朝血潮漲る〜
実際に、陽があたっていない葉は、紅くなってなかったですね。
もっともっと太陽をつかもうとしている掌でしょうか。
>被写体に移ろふ〜
すごい数でしたね、カメラ持って来てる人。
なんだか、宇宙人がこぞって、計測しに来ているように思えましたw
>石塔の欠けるにまかせ〜
宇宙の真理を追い求めた寅彦にとっては、灯籠が欠けようが、
どうしようがたいした問題ではないのかも知れませんね。
>珊瑚樹の実や御利益の降るごとく
これだけご利益あるとうれしいですね。
ただ、ご利益を求める人の数も、かなりのもので…w
>紅葉散る〜
桜も紅葉も、短い期間を味わうのがイキなのかも知れませんね。
どんどん色づいて、どんどん散って行く。
その時そのものを愛でるのが贅沢というものかも。
>鐘の音に〜
時を告げる鐘の音。時が来たから鐘が鳴るのか、
鐘がなるから時が来たと認識するのか。
とにかく、来た時はどんどん過ぎ去っていきます。
散り行く紅葉のように。
もう冬日か。早いなぁ。私は秋のつもりで歩いていたのですが。
そんなに先を急いでどうするんだ、俳句。
現時点のことを表したらイカンのでしょうか?
なんで紅葉は、手を広げたような形になってるんだろう、
と、写真撮りながら思いましたよ。
日照面積を広くするだけなら、切れ込みはいらないですからね。
まさか、カエデ科の葉のきれいな形と色を
人間が大事にするだろうと思ってのことだったりして。
ちなみに私の頭の中では『手のひらを太陽に』がずっと鳴ってました。
このところ陽の落ちるのが早くなって、寂しいような焦るような。
今年は紅葉がいつもの年より遅いこともあって、
この日は待ちに待った撮影日和だったのかも知れないですね。
でも、傍からみてるとちょっと可笑しい光景ではありました。
「寅彦忌」が冬の季語。12月31日を指すらしい。
なので、まだ11月なのに「寅彦忌」では、ちょっと先走りすぎでは?どうでしょう。
作者がこの写真でなぜ寺田寅彦を連想したのかは
わからないけど、寺田寅彦の随筆の、淡々とした語り口と
石塔の「欠けるにまかせ」る姿が、重なるようにも思う。
久しぶりに随筆集を読んでみようかな。
珊瑚樹が秋の季語。
房状にたくさんついた小さな赤い実がみごと。
写真のこの樹は、平林寺の松平家の公墓所内のもの。
紅葉とはまた違う赤色が、石色のなかで目立ってました。
なにかホッとするような木でした。
参考URL:平林寺
http://www.linkclub.or.jp/~kiyota/heirinji/heirinji.html
まだ紅葉降ってないのになぁ。
もうちょっとゆっくり紅葉の秋を味わいたいのに、
アセらせないでくれと言いたい。
でもホント一期一会。それはたしかにそう。
写真に撮って保存するのは、本来できないものなのかも知れない。
ま、シャッターチャンスも一期一会か。
だからまだ散ってないって。
私が、現在の時にこだわり過ぎてますかね?
でもたぶんもうちょっと経ったら、鐘の響きで
紅葉がはらはら散ってしまうようにもなるんだろうなぁ。
そんな風景も冬の一部か。