ひねもす俳句:梅雨の前 2025年5月27日2025年5月27日 pure2 ひねもす俳句 獨逸松暑さに負けて項垂るる /勝美 解体が済むや一気に来る涼気 /勝美 オリーブの花の盛りや小豆島 /勝美 白玉や蛇笏の名句口ずさむ /勝美 桜散りあとは老体在るばかり /勝美
梅雨の前。春先から梅雨入り前までの季節が一番好きです。梅雨もジメジメする以外は良いですが… さて、写真について先に。 ドイツ松、ドイツトウヒ、ヨーロッパトウヒ、ノルウェートウヒ、色々呼び名があって多分どれも一緒。 違うかな?詳しくは調べないとだけど。 下向きのボリュームある葉が特徴的。 新御徒町の昭和レトロなアーケード商店街の一角。 代替わり成らずで取り壊しになる店舗がちらほら。このお店のほかにもゼイタク煎餅(人形焼)屋さんも気づいたら無くなっていて、寂しいばかり。 コロナ禍に小豆島を訪れたのは3月中頃、花期より前ですね。 かわいい花。オリーブの花盛りの小豆島にも行ってみたい。3月中ばはミモザが見事でした。 写真より実物のほうがずっとキラキラしていた、ミツバアケビの葉の上の水玉。 こんな発見があるのは雨上がりの散歩の特権。 気の毒な桜の木。 弱っていたから切られたんだとは思う。けれど、無惨に太い幹を切られたあと、みるみる弱ったように思う。 辛うじて今春も幹の途中から吹き出した新芽に花がついていたが、先日はこんな姿に。 返信
俳句には名句と駄句とがあるとは思います。もっとも名句といい、駄句といい、紙一重ではなかろうか。今回ミツバアケビの葉に溜まった水滴を夏の季語「白玉」に喩えたものの飯田蛇笏の「芋の露連山影を正しうす」を想起して口ずさんだのです。この句は格調高い句と思います。自然観察に自分の内面性も読み込んでいるかな、と思う。「駄句大会特集」はひねもす俳句そのものが該当するよと言われそうですが。せいぜい鑑賞者に感銘を與えられるような俳句を心がけます。 返信
高橋春男という人(漫画家)の「俳人二十面相の挑戦」という著書があって、その紹介文に「俳壇の奇才がおくる、あなたの心にしみいる迷句の数々。名句・珍句・駄句・禁句など、詠みも詠んだり1000句。昔懐かしい駄菓子屋の駄菓子のような駄句を味わって、腹の底からバカになろう。」とあるよ。 近所の図書館には置いていないので内容確認できないけど。 返信
「梅雨の前」の5句についてのコメントの前に俳句における名句と駄句について考えたい。まず名句とは何か。五万と詠まれている中のどれが名句だろうと考えると、これだ!と一概に示すことはできない。作品の鑑賞者の立場から勝手気ままに決めつけるのはどうなのかなとも思う。同一句でも批評の分かれることはある。勝美の場合はすぐ暗誦できる句つまり心に響く句が名句かな、と思う。反対に駄句は俳句の基本要件を外れて嫌味な句や常套的な句や中身のない句やあれこれ思いつく。ひねもす俳句も苦し紛れで深く心を動かすことのない句に満ち溢れているので偉そうなことは言えない。心して作りたい。 さて1句目はドイツトウヒ(獨逸唐檜)。植物図鑑で調べれば良いがモミの仲間の常緑針葉樹。下枝が垂れ下がる。夏まけで青ざめたわけではない。ひねもす流の悪い癖が出たまで。2句目は解体中の洋菓子と喫茶のお店。古い良いものは消え去りゆくのみ。すっからかんになったらあとは一気に涼風が抜け通るのかなあと、一抹の寂しさ。3句目はオリーブの花。小豆島旅行へ結びついてこれぞ駄句を詠んでしまった。4句目はミツバアケビの葉の水滴。 夏の季語の「白玉」で作ろうとした時飯田蛇笏の句をスルスル口に出てしまった。それで白玉が中途半端になった。 最後の句は桜の巨樹。キノコが生えると幹が枯れて死ぬそうな。余生を患いもなく過ごしたまえと憐情を覚えたのでした。 返信
梅雨の前。春先から梅雨入り前までの季節が一番好きです。梅雨もジメジメする以外は良いですが…
さて、写真について先に。
ドイツ松、ドイツトウヒ、ヨーロッパトウヒ、ノルウェートウヒ、色々呼び名があって多分どれも一緒。
違うかな?詳しくは調べないとだけど。
下向きのボリュームある葉が特徴的。
新御徒町の昭和レトロなアーケード商店街の一角。
代替わり成らずで取り壊しになる店舗がちらほら。このお店のほかにもゼイタク煎餅(人形焼)屋さんも気づいたら無くなっていて、寂しいばかり。
コロナ禍に小豆島を訪れたのは3月中頃、花期より前ですね。
かわいい花。オリーブの花盛りの小豆島にも行ってみたい。3月中ばはミモザが見事でした。
写真より実物のほうがずっとキラキラしていた、ミツバアケビの葉の上の水玉。
こんな発見があるのは雨上がりの散歩の特権。
気の毒な桜の木。
弱っていたから切られたんだとは思う。けれど、無惨に太い幹を切られたあと、みるみる弱ったように思う。
辛うじて今春も幹の途中から吹き出した新芽に花がついていたが、先日はこんな姿に。
ところで、敢えての「駄句大会」駄句特集をしてみたいとふと思った。
有名俳人でも駄句はあるのか?
俳句には名句と駄句とがあるとは思います。もっとも名句といい、駄句といい、紙一重ではなかろうか。今回ミツバアケビの葉に溜まった水滴を夏の季語「白玉」に喩えたものの飯田蛇笏の「芋の露連山影を正しうす」を想起して口ずさんだのです。この句は格調高い句と思います。自然観察に自分の内面性も読み込んでいるかな、と思う。「駄句大会特集」はひねもす俳句そのものが該当するよと言われそうですが。せいぜい鑑賞者に感銘を與えられるような俳句を心がけます。
高橋春男という人(漫画家)の「俳人二十面相の挑戦」という著書があって、その紹介文に「俳壇の奇才がおくる、あなたの心にしみいる迷句の数々。名句・珍句・駄句・禁句など、詠みも詠んだり1000句。昔懐かしい駄菓子屋の駄菓子のような駄句を味わって、腹の底からバカになろう。」とあるよ。
近所の図書館には置いていないので内容確認できないけど。
「梅雨の前」の5句についてのコメントの前に俳句における名句と駄句について考えたい。まず名句とは何か。五万と詠まれている中のどれが名句だろうと考えると、これだ!と一概に示すことはできない。作品の鑑賞者の立場から勝手気ままに決めつけるのはどうなのかなとも思う。同一句でも批評の分かれることはある。勝美の場合はすぐ暗誦できる句つまり心に響く句が名句かな、と思う。反対に駄句は俳句の基本要件を外れて嫌味な句や常套的な句や中身のない句やあれこれ思いつく。ひねもす俳句も苦し紛れで深く心を動かすことのない句に満ち溢れているので偉そうなことは言えない。心して作りたい。
さて1句目はドイツトウヒ(獨逸唐檜)。植物図鑑で調べれば良いがモミの仲間の常緑針葉樹。下枝が垂れ下がる。夏まけで青ざめたわけではない。ひねもす流の悪い癖が出たまで。2句目は解体中の洋菓子と喫茶のお店。古い良いものは消え去りゆくのみ。すっからかんになったらあとは一気に涼風が抜け通るのかなあと、一抹の寂しさ。3句目はオリーブの花。小豆島旅行へ結びついてこれぞ駄句を詠んでしまった。4句目はミツバアケビの葉の水滴。
夏の季語の「白玉」で作ろうとした時飯田蛇笏の句をスルスル口に出てしまった。それで白玉が中途半端になった。
最後の句は桜の巨樹。キノコが生えると幹が枯れて死ぬそうな。余生を患いもなく過ごしたまえと憐情を覚えたのでした。