ひねもす俳句:静岡あれこれ

神木の大楠母の日の母ぞ
神木の大楠母の日の母ぞ /勝美
風流や土筆小流れ見てをりぬ /勝美
風流や土筆小流れ見てをりぬ
徳川の往時偲ぶや桜咲く
徳川の往時偲ぶや桜咲く /勝美
水温む水難救助にはあらず /勝美
水温む水難救助にはあらず
割箸の組み木細工や春館
割箸の組み木細工や春館 /勝美

「ひねもす俳句:静岡あれこれ」への5件のフィードバック

  1.   タイトル「静岡あれこれ」の仔細はともあれ静岡関係でのひねもす。最初は大楠。来宮神社。コンクリで補強してあったり痛々しい大楠。雨上がりの早朝ではあったが観光客は多い。根はどっしりしてあたかも母のイメージとダブる。母の日には母に感謝の念を捧げないわけにはいかない。ともすれば満身創痍でも腰を落ち着けている母。
     次は土筆。小鹿公園の池へそそぐ小流れ。川辺に頭を並べている様は水の流れを鑑賞でもしているよう。平和な一と時。次は駿府城公園のジンダイアケボノ。これぞ春の情景。徳川の時代を知るや知らぬや桜は咲く。時代の空気は今を流れている。次は駿府城の濠割。観光客を乗せて小舟がゆったりと巡っている。平和な時代ということか。最後は日本平の夢テラス。隈研吾の設計とか。材木がここにもふんだんに使用されている。割箸細工みたいで朽ちるのは早いのではないかと心配する。最終日は熱海から踊り子号で家路へ。それにしても熱海は当たり前だが人人人。その中で人の少ないビルを見つけのんびりできたのは上々だった。

  2. 春の静岡プチ旅、おつかれさまでした。
    無事旅程を敢行できてホッとしました。

     神木の大楠母の日の母ぞ /勝美
    大楠から母への転換はやられたな、と思った。
    私の句は陳腐で凡庸だ。
     大楠を廻り長寿を祈る春
    帰りの電車の待ち時間を自分の作句(インスタントだけど)に充てたのは我ながらナイスアイデア!!

     風流や土筆小流れ見てをりぬ /勝美
    「ぬ」は否定じゃなく、完了の助動詞「ぬ」ですね。
    めんどくさ!けど、「見ているよ」じゃあ童謡になっちゃうか。
    それはそうと、この場所は風もゆるみ暖かな陽射しで春そのものでしたね。

     徳川の往時偲ぶや桜咲く /勝美
    ジンダイアケボノの原木は神代植物園にあるそうです。
    1991年に栽培品種として誕生したので、徳川の時代は知らない桜。
    だけどソメイヨシノより一足先にお濠を彩って、いいお役目与えられていましたね。

     水温む水難救助にはあらず /勝美
    駿府城公園は、早朝はラジオ体操をする人がわらわらとやってくる場所。
    ご近所にこんな場所があるのは、ちょっと誇らしい気持ちになるんじゃないかな?

     割箸の組み木細工や春館 /勝美
    これは、写真なくても通じる句?
    それはさておき、隈研吾。どうなんだろう?あちこちのハコモノを手掛けてますが…
    ここは令和元年あたりに建てられたらしい。どうなりますやら。

  3.   おはよう。お世話になりました。わがままな爺さんで気に食わなかったと思います。お許しあれ。
    最終日の閑散としたビルは穴場(?)むしろ嬉しかった。屋上も日当たりよくのんびりできて幸いだった。俳句はいきあたりばったりで今ひとつという感じかねえ。コメント返ししてくれてありがとう。これからもよしなにね。

  4. こんにちは、早速感想ですが、
    「神木の大楠母の日の母ぞ」
    あわさんと同じく、参った!ですね
    母の言葉を二回繰り返しての強調と下五の「ぞ」の断定で母の強さを感じます(初心者の自分がこれをすると失敗します…)
    コメントにあった満身創痍の楠木、、を読み、
    浅田次郎の小説の一節を思い出していました
    「、、母という名を負い持ちて いとねんごろに看護する、、」(婦人従軍歌)

    つぎは、
    「風流や土筆小流れ見てをりぬ」
    土筆はそこにいるだけでも可愛いのに、小川を見ている!と言うのですから、たまらない可愛らしさが出ています。
    今回は、両極端な二つの表現を、勉強させていただきました。

  5.    ひろみさんへ
    早速お立ち寄り下さってありがとうございます。
    そして愚作から何かと勉強されているのには頭下がる思いです。
    これからもよしなに、引き続いてのお喋り大歓迎です。

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