ひねもす俳句:黒目川桜散歩 2007年4月6日2007年4月6日 pure2 ひねもす俳句 春塵に押されて土手のベビーカー /勝美 みどりごの周りに座り桜土手 /勝美 菜園の畝浮きたたす花の屑 /勝美 丈伸びし菜の花迷路めく畑 /勝美 一雨に川濁れども残る鴨 /勝美 川風の触れてゆきたる柳かな /勝美 食べ終へし葉をてのひらに柏餅 /勝美
>春塵に押されて土手のベビーカー 春の黒目川土手は、ベビーカーのラッシュアワーでしたねw 土手の上から河原にベビーカーを抱えて降りて来るママの姿は、 正に“強し”という感じでした。 >みどりごの周りに座り桜土手 赤ん坊も春の陽は気持ち良いようです。 大人になっても憶えていて欲しいものです。 >菜園の畝浮きたたす花の屑 アスファルトの上に降る桜は、ゴミ袋に詰められてしまいます。 ここの桜は、温かい畑の上で幸せそうです。 >丈伸びし菜の花迷路めく畑 延び放題の菜の花が、人知を超えた迷宮を創り出しているようです。 >一雨に川濁れども残る鴨 川が濁っているからこそ、桜の花びらが浮き上がって見えるようです。 鴨たちも、それを楽しんでいるよう。 >川風の触れてゆきたる柳かな 柳を揺らす春風は、きっと挨拶しているのだと思います。 「今年もきたよ〜」とか。 >食べ終へし葉をてのひらに柏餅 柏餅の葉は、なぜだか捨てるには忍びない。 取って置いて干からびてくると「はやく捨てなきゃ」と。 人間、勝手なものですw。 返信
「春塵(しゅんじん)」が春の季語。春塵なんて言葉があるのか。 うかうかしてると、舞い上がった土埃でベビーカーも赤ちゃんも砂(土?)だらけになっちゃいますね。 日本人はほんと花見好きだよなぁと思う。桜が咲いてるのに、じっと家にいるなんてできません。もしかしたら、こうして赤んぼの頃から花見に連れ出されているのが、影響してるのかな。とにもかくにも、のんびり麗らかな春をみんなで満喫できるって幸せだなぁと思う。 私も作りました。単純すぎますかね? 吾子抱きて歩く川べり桜かな 散った花びらが、見事に畝の溝に収まって。 これはもう、桜と風と畑のコラボアートですよ。見事です。自然のいたずら心とも言うべきか。 で、それに目を止める作者の着眼点がいい。自然の作り出したミニマルアートに ひけをとらないミニマルな句で締め括ってます。 菜の花は咲いては伸び、咲いては伸びで、ずいぶん長い間楽しませてくれる花ですが、春も終わりになると、たしかに向こうが見えないくらいに伸びていますね。 菜の花で私も作りました。 菜の花の匂ひに赤子鼻そむけ こりゃダメですね。そのまんますぎる。 「残る鴨」が春の季語。北に帰っていきそびれてる鴨。 川はやっぱり綺麗なほうがいい。雨のせいとはいえ、濁るとちょっと嫌なものですが、そこに鴨がいるだけで、なぜだか心が持ち直すのが不思議。 柳の句は、いままさに柳の枝が揺れてるのが見えるかのよう。 シンプルだけど気持ちがいい句です。 柏餅は初夏の季語。 柏餅食べたこの2人。食べ終わっても柏の葉っぱを手に載せたまま 話し続けてる、っていう感じでしょうか。 もしくは独りで食べる柏餅なら。また違う想像ができますね。 返信
「吾子抱きて歩く川べり桜かな」は、とても素直な句でいいと思います。 「胸の子の安らけくあり桜土手」よりは動きがあっていいのでは。 また「菜の花の匂ひに赤子鼻そむけ」も悪くないと思います。 「菜の花の渦に怯える吾子を抱く」などはいかがでしょうか? コメントよろしく。 返信
う〜む。ちょっとでも誉められると気持ちがいいでもんですね。 じつはうらわの俳人さんに添削をお願いしたのですがそれは野暮ってことで、こういう形(↑)になりました。 ダメな所を修正するより、いいところを伸ばす方針ですね。 「胸の子〜」はさすがにシロウトじゃ作れない句だと思います。なんちゅーか凝縮感が違う。 「菜の花の渦に〜」もそう。 実際の現実から、何を抽出してどう再構成するかってことが俳句のすべてなんでしょうね。 私はいまんところ、いらないものは何となく分るけど、再構成はできないんだなぁ。 でもまあ、作る楽しみはありますね。 返信
黒目川当日、私も数句詠んで、勝美さんに手直ししてもらっていたのでした。 せっかくなので、それを発表! |ひばり追うレンズ降りしく白の片 | ↓添削 |鳥を追ふカメラの前にさくら散る |バイパスの信号待てり花の降る | ↓添削 |花屑をつけて信号待つ車 |にぎりめし独りベンチに具は桜 | ↓添削 |花びらを口許につけ握り飯 以下は詠んだまんまです。 ・サイドミラー過ぎ去る田端風柳 ・主亡き平屋の屋根に桜降る 返信
添削などは野暮の骨頂で、生まれた作品に文句はつけません。ただ、切り口とか余分の言葉を省くとか、言わんとする眼目は何かとか思考を重ねることでより満足出来る作品につながるのではと思います。 サイドミラーの句は「田端風柳」が、主亡きの句は、「主亡き」と「平屋」が、再考すべきところではないかと思います。 返信
>うらわの俳人さん(勝美さん) 添削なんて言っちゃってすみません。 でも、見ていただく前と後では、格段に出来が違っています。さすが! なんというか、カメラの焦点がピチッと会う感じ。 見ていただく前だと散漫なんですよね、印象が。 素人ながら、普通の言葉で強い印象が生まれるのがいい句だと思います。 返信
>春塵に押されて土手のベビーカー
春の黒目川土手は、ベビーカーのラッシュアワーでしたねw
土手の上から河原にベビーカーを抱えて降りて来るママの姿は、
正に“強し”という感じでした。
>みどりごの周りに座り桜土手
赤ん坊も春の陽は気持ち良いようです。
大人になっても憶えていて欲しいものです。
>菜園の畝浮きたたす花の屑
アスファルトの上に降る桜は、ゴミ袋に詰められてしまいます。
ここの桜は、温かい畑の上で幸せそうです。
>丈伸びし菜の花迷路めく畑
延び放題の菜の花が、人知を超えた迷宮を創り出しているようです。
>一雨に川濁れども残る鴨
川が濁っているからこそ、桜の花びらが浮き上がって見えるようです。
鴨たちも、それを楽しんでいるよう。
>川風の触れてゆきたる柳かな
柳を揺らす春風は、きっと挨拶しているのだと思います。
「今年もきたよ〜」とか。
>食べ終へし葉をてのひらに柏餅
柏餅の葉は、なぜだか捨てるには忍びない。
取って置いて干からびてくると「はやく捨てなきゃ」と。
人間、勝手なものですw。
「春塵(しゅんじん)」が春の季語。春塵なんて言葉があるのか。
うかうかしてると、舞い上がった土埃でベビーカーも赤ちゃんも砂(土?)だらけになっちゃいますね。
日本人はほんと花見好きだよなぁと思う。桜が咲いてるのに、じっと家にいるなんてできません。もしかしたら、こうして赤んぼの頃から花見に連れ出されているのが、影響してるのかな。とにもかくにも、のんびり麗らかな春をみんなで満喫できるって幸せだなぁと思う。
私も作りました。単純すぎますかね?
吾子抱きて歩く川べり桜かな
散った花びらが、見事に畝の溝に収まって。
これはもう、桜と風と畑のコラボアートですよ。見事です。自然のいたずら心とも言うべきか。
で、それに目を止める作者の着眼点がいい。自然の作り出したミニマルアートに
ひけをとらないミニマルな句で締め括ってます。
菜の花は咲いては伸び、咲いては伸びで、ずいぶん長い間楽しませてくれる花ですが、春も終わりになると、たしかに向こうが見えないくらいに伸びていますね。
菜の花で私も作りました。
菜の花の匂ひに赤子鼻そむけ
こりゃダメですね。そのまんますぎる。
「残る鴨」が春の季語。北に帰っていきそびれてる鴨。
川はやっぱり綺麗なほうがいい。雨のせいとはいえ、濁るとちょっと嫌なものですが、そこに鴨がいるだけで、なぜだか心が持ち直すのが不思議。
柳の句は、いままさに柳の枝が揺れてるのが見えるかのよう。
シンプルだけど気持ちがいい句です。
柏餅は初夏の季語。
柏餅食べたこの2人。食べ終わっても柏の葉っぱを手に載せたまま
話し続けてる、っていう感じでしょうか。
もしくは独りで食べる柏餅なら。また違う想像ができますね。
「吾子抱きて歩く川べり桜かな」は、とても素直な句でいいと思います。
「胸の子の安らけくあり桜土手」よりは動きがあっていいのでは。
また「菜の花の匂ひに赤子鼻そむけ」も悪くないと思います。
「菜の花の渦に怯える吾子を抱く」などはいかがでしょうか?
コメントよろしく。
う〜む。ちょっとでも誉められると気持ちがいいでもんですね。
じつはうらわの俳人さんに添削をお願いしたのですがそれは野暮ってことで、こういう形(↑)になりました。
ダメな所を修正するより、いいところを伸ばす方針ですね。
「胸の子〜」はさすがにシロウトじゃ作れない句だと思います。なんちゅーか凝縮感が違う。
「菜の花の渦に〜」もそう。
実際の現実から、何を抽出してどう再構成するかってことが俳句のすべてなんでしょうね。
私はいまんところ、いらないものは何となく分るけど、再構成はできないんだなぁ。
でもまあ、作る楽しみはありますね。
黒目川当日、私も数句詠んで、勝美さんに手直ししてもらっていたのでした。
せっかくなので、それを発表!
|ひばり追うレンズ降りしく白の片
| ↓添削
|鳥を追ふカメラの前にさくら散る
|バイパスの信号待てり花の降る
| ↓添削
|花屑をつけて信号待つ車
|にぎりめし独りベンチに具は桜
| ↓添削
|花びらを口許につけ握り飯
以下は詠んだまんまです。
・サイドミラー過ぎ去る田端風柳
・主亡き平屋の屋根に桜降る
添削などは野暮の骨頂で、生まれた作品に文句はつけません。ただ、切り口とか余分の言葉を省くとか、言わんとする眼目は何かとか思考を重ねることでより満足出来る作品につながるのではと思います。
サイドミラーの句は「田端風柳」が、主亡きの句は、「主亡き」と「平屋」が、再考すべきところではないかと思います。
>うらわの俳人さん(勝美さん)
添削なんて言っちゃってすみません。
でも、見ていただく前と後では、格段に出来が違っています。さすが!
なんというか、カメラの焦点がピチッと会う感じ。
見ていただく前だと散漫なんですよね、印象が。
素人ながら、普通の言葉で強い印象が生まれるのがいい句だと思います。