ひねもす俳句:時の流れ

さるすべり浄土の彩としも思ふ
さるすべり浄土の彩としも思ふ /勝美
捨て切れぬ故郷ありけり秋の雲 /勝美
捨て切れぬ故郷ありけり秋の雲
野葡萄の恥づかしがりや赤らみて
野葡萄の恥づかしがりや赤らみて /勝美
願ひ終へ七夕竹を流しけり /勝美
願ひ終へ七夕竹を流しけ
ひと暴れして龍淵へ潜むべし
ひと暴れして龍淵へ潜むべし /勝美

「ひねもす俳句:時の流れ」への2件のフィードバック

  1.   今回は「時の流れ」時間の経つのはあっという間。その間にも何やかやと動きが潜んではいる。
     一句目は色鮮やかなさるすべり。経典によれば浄土は輝きに満ちた世界ですが、此の百日紅の堂々とした色には圧倒される。まさに浄土の色かと。次は秋の雲。寂寥感を掻き立てる。故郷は遠くにあって過疎地ともなれば帰ることもできないということもあろう。次は野葡萄。大きな葉っぱから顔を覗かせている。はづかしがりか奥ゆかしいのか。赤く染まる頃は葉っぱも枯れて笑顔を見せるだろう。次は一本の野川。下へと続く。折しも七夕がすぎ願を書いた短冊がひらひら。七夕竹の川流し。環境破壊できっと叱られるだろう。最後は重機が建物を破壊している。コマーシャルもあったかも。季語の「竜淵に潜む」を拝借した。生成AIは秀作と鑑賞してくれたが如何なものか。

  2. ひろみです。
    今回も圧倒させられる句ばかりです。
    『ひと暴れして龍淵へ潜むべし』
    上五の、ひと暴れ!に驚きました。
    このとびっきり威勢がいい言葉は、躍動感あふれる龍にぴったりです。そして秋になり、役割りを終え休息に入る龍の姿が映像として見えてきます。
    龍天登るが春の季語で、龍淵に潜むが秋の季語なら、
    龍ひと暴れ!が夏の季語として,歳時記に載ってもいいのでは?と、思わされます。

    『さるすべり浄土の彩としも思ふ』
    百日紅は猛暑であっても鮮やかに咲いています。学生の頃、ひと枝コップに差して机に置いていたら、三日ともちませんでした。この花は根付いた木だからこその百日なんだなーと。今も神社でこの花の木を見るたびに思うのです。
    この度この句から、なぜ神社やお寺に植えてあるのかを知ることができました。

    『願ひ終へ七夕竹を流しけり』
    作者のコメントにもありましたが、現在では竹を流せず思い出だけになってしまいました。でも、願い終えた竹を、田や畑に差してあるのを見た事があります。こちらの句はとても郷愁に誘われます。子供の頃の短冊の願いは、いつも決まって「織姫と彦星が会えますように」
    あの頃は誠に欲のない子供でした。

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