ひねもす俳句:此処は何処

佐保姫に踊りの神の降りて来し
佐保姫に踊りの神の降りて来し /勝美
梅雨入りの気配や山のそそり立つ /勝美
梅雨入りの気配や山のそそり立つ
衛兵の如き岩峰汗滂沱
衛兵の如き岩峰汗滂沱 /勝美
石楠花やつづく急坂登りきり /勝美
アンデスの文明に触れ夏夜明
アンデスの文明に触れ夏夜明 /勝美

9 thoughts on “ひねもす俳句:此処は何処

  1. 十連休もあけました。いつも休日の我々年寄りには何ほどの感情もわきませんけれどね。今回は榛名、伊香保、川越などのパワースポットを巡ってみました。しょっちゅう行くことはありませんがいろいろの発見もありました。1句目は川越寸景です。薹がたっている佐保姫ですが。
    2句目は榛名です。地球年代的には時代を閲した山々の佇まいを眺めました。昔はこの辺りはたいてい登ったのですが今は体力不足で眺めるだけでした。3句目4句目は榛名神社です。パワースポットの恩恵にあずかろうと人出で賑わっていました。5句目はまた川越の健康に関わる神社です。足とか目とかにご利益があるとかで一応参拝してきました。狛犬の彫刻がいかにもインカかマヤか、稚拙感がありました。

  2. 表題の「此処は何処」・・・哲学的なご下問に、反射的な直感でコメントさせていただきます。
    浮き世でありながら、安らぎ、寛ぎ、救い、安堵のある処・・・仕立て上げたのは勝美さんですから勝美ワールド・・・密かにそう呼びたくなりました。お誘い下さってありがとうございます。

    佐保姫に踊りの神の降りて来し /勝美
    *奈良の佐保山からのご出張でしょうか。踊りは平成時代最後の春の踊り・・・名残惜しいです。

    梅雨入りの気配や山のそそり立つ /勝美
     *気配で感じる季節の移り変わり・・・格別身構えはしませんが、梅雨入りはその代
      表格のようです。

    衛兵の如き岩峰汗滂沱 /勝美
     *この場合の「滂沱の汗」は神聖な世界へ入り込む通過儀礼?

    石楠花やつづく急坂登りきり /勝美
    *元気づけて誘ってくれたのは石楠花・・・私の住むマンションの庭では、同じツツジ科の「さつき」が家篭もりの私を誘い出そうとしている風情です。

    アンデスの文明に触れ夏夜明 /勝美
    *源流を辿ると異境の地・・・でも人間の住む世界が発するものの奥底には願いが潜んでいるんですネ。敬虔な勝美さんの足と目に御利益があるように願っています。

  3.  佐保姫に踊りの神の降りて来し /勝美
    おかめちゃんな佐保姫がかわいいですね。
    イタリアの春の女神といえばフローラ、各国の春の女神サミットとか
    想像すると楽しい。

     梅雨入りの気配や山のそそり立つ /勝美
    春が来たかと思えばもう梅雨入りですか。
    この山は榛名山じゃないよね?榛名は榛名富士というくらい富士山ぽい形だもんね。
    山のほうはまだ春前なんじゃないの?

     衛兵の如き岩峰汗滂沱 /勝美
    此処は何処?すごい岩ですね。自然にあるの?それとも人の手が造ったのか。
    ちょっとカンボジアとかタイの岩山にある寺院を思わせる。
    「衛兵の如き」が利いてますね。

     石楠花やつづく急坂登りきり /勝美
    山登ってると、傍の花にはホント癒されますね。
    私は花より食べれる実のほうが癒されるけど!木いちごとか浅間ぶどうとか。
    天覧山には冬苺がいっぱい成るとこありますよ。

     アンデスの文明に触れ夏夜明 /勝美
    う〜む、言われてみればマヤ文明?
    でも所謂狛犬もシーサーみたいじゃない?
    狛犬のデザインってそれぞれ何か訳あって違うのかしら?調べてみるのも面白いかも。

  4. >佐保姫に踊りの神の降りて来し
    佐保姫が春を招く様子が踊っているように見えるのかも知れないですね。

    >梅雨入りの気配や山のそそり立つ
    今年の春は本当に短い感じでした。何日かごとに寒くなったりして。
    このまま梅雨入りしちゃうのでしょうか。

    >衛兵の如き岩峰汗滂沱
    汗だくで登ってきたところにこの山がいるとそう感じてしまいそうですね。

    >石楠花やつづく急坂登りきり
    きつい坂も花があると少しは気が休まりそうです。

    >アンデスの文明に触れ夏夜明
    言われてみるとアンデス風に見えてきますね。

  5. 手塚さん コメントありがとうございます。詩的で哲学的考察を嬉しく思いました。横浜句会でもどうぞよろしくです。

  6. あわさんおはようさん。コメントありがとうです。あちこち訪ね歩くと面白い発見に出会います。今回の写真はスマホで切り取ったのですが、何か訴えるものを感じたのですがね。俳句はもひとつ納得できる仕上がりではないのが気がかりではありますけれど。まーいいか。

    1. 写真を自分で撮るかどうかだね。
      自分で撮る際には、その通りなんか感じて撮るわけで、そこに縛られガチでは?
      他者が撮ったものには思い入れ無いから、画像そのものだけに対峙できる。
      楽なのはどっちだろうねぇ

  7. のうそうさん こんにちは。コメントありがとうございます。写真と俳句とのコラボは丁々発止の勢いが肝心かもですね。またよろしくです。

  8. あわさん 写真は自分より他人のに限るねえ。忌憚なく向き合えるものね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です