ひねもす俳句:夏へ

赤ちゃんの手と雨粒
幼な手の汚れな染めそ原爆忌 /勝美

雨の池

次の鉾待つ間も濡れて佇める /勝美

プラム

プラム盛る器の白し巴里祭 /勝美

雨の花屋

青梅雨の街角愉し花溢れ /勝美

ひまわり

向日葵の後ろめたさのなき自信 /勝美

「ひねもす俳句:夏へ」への4件のフィードバック

  1. >幼な手の汚れな染めそ原爆忌
    自分の娘を見ていて思うのは、
    「こんな小さい子がいて、周りが戦場だったらどうなってしまうのだろうか?」
    ということです。
    戦争を始めるのは、前線に立たない人達。
    でも、その立たない人を選んだのは、戦火にさらされる自分です。
    >次の鉾待つ間も濡れて佇める
    鉾は祇園祭の山車のことなんでしょうか?
    いや、それを知らなかったので何のことやら?という感じでした。
    しかも、鉾を鉢と読み間違えていて、
    植木鉢を濡れながら待つ人ってどんなだ?と
    悩んでおりました。この場合は、待つでなくて松でしょうか?w
    >プラム盛る器の白し巴里祭
    子供の頃、遠足の日の朝ご飯は、なぜか輪郭が
    ハッキリクッキリしているように見えていました。
    お祭りの朝のパリっ子たちも、うきうきして、
    器に盛ったプラムが、いつもと違って見えているかも知れませんね。
    >青梅雨の街角愉し花溢れ
    とでも、思っていないとやれないのが梅雨ですね。
    そこそこ明るくて雨が絶えないこの季節、花たちにとっては
    愉快な季節なのでしょうね。
    >向日葵の後ろめたさのなき自信
    確かにヒマワリはポジティブ!な感じしますよね。
    花が枯れて垂れて来ても「まだまだ〜」って
    言っているように思えます。
    それもこれも、一夏、正しく生きたという自信からくるのでしょう。

  2. 「原爆忌」が季語。
    ひねもすでは珍しく厳粛な句。
    幼い命も大勢犠牲になったことを思えば、
    原爆投下がしょうがなかったなどと、決して口に出したくないですね。
    季語は「祇園祭」でいいのかな。
    祇園祭って私は実際見たことない(と思う)ので、
    白塗りのお稚児さんが山車に乗るお祭り、くらいの
    印象しかないのですが、
    7月いっぱい色々な出し物があるんですね。
    http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/gion/gion.html
    鉾を曳くところも、見てみたいです。
    雨の波紋の写真から、祇園祭の句になるとは意外でした。
    「巴里祭」もまた夏の季語。
    7月14日、フランス革命の日のことですね。
    写真の器は、以前なぜだか欲しくてしかたなかった白いカフェオレボール。
    いまはカフェオレ用として使うより、小どんぶりとして
    使っちゃっていますが。
    さわやかで気持ちがピンとするような句ですね。
    「青梅雨(あおつゆ)」が季語。
    梅雨に青がつく青梅雨とは、新緑に降り注ぐ雨のことらしい。
    今年の梅雨の始めは、紫陽花も枯れかけるくらい、
    なかなか雨にならなくて。
    やっぱり梅雨はちゃんと雨降ってくれないと!
    植物がいきいきして見える、雨の街角も楽しいですよ。ホントに。
    ヒマワリは時にぎょっとするくらい堂々と咲いてますよね。
    力強い花です。
    丈のみじかい、茎の細めなちょっと繊細なヒマワリも
    ありますが、ぐいぐいと茎の太いバカでかいヒマワリが
    やっぱりヒマワリらしくていいです。
    なんかもう、力のかぎり育つ感じが「後ろめたさのなき」
    なんでしょうね。

  3. おひさしぶりです。
    向日葵は私の中では どうも あの映画が強くイコールになってしまいます。こんなコメントは破門かしら(笑)

  4. いえいえ、私めもひまわりといえばあの映画とあのメロデイ。
    自信もなく蠢いていた青春時代。後ろめたさだけが苦い想い出。
    これからも、コメントよろしゅう。

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