ひねもす俳句:それぞれの営み 2019年9月24日2019年11月1日 pure2 ひねもす俳句 高架の支柱倒るべからず阪神忌 /勝美 忸怩たる汗のごとしよ露の玉 /勝美 穴に入る前かなへびのボルダリング /勝美 冷ややかや出征兵士は華と散り /勝美 燈籠を守る猫ゐて恙なし /勝美
今回のタイトルは「それぞれの営み」。一句目の一直線の橋脚の柱列は1995年1月17日の阪神淡路大震災の三ノ宮の崩れている橋脚を想起した。季語としては冬に属するのであるが、あえて画面と想像とを優先させて阪神忌をぶち噛ませた。二句目の写真を拡大すると汗のように露が玉なしている。花のかんばせに似つかわしくない汗の玉はどうしたことかと。三句目のかなへびはとかげの仲間だが見るからに小型の蛇。おしゃれにボルダリングにいそしんでいるかに見える。四句目は写真館らしい。営業しているのかわからないが、この古さからすれば戦時中は出征兵士が形見に替えて記念写真を撮ったのではなかろうかと思った。人生の歴史が込められているかに感じた。五句目は足利のどこぞの神社であろうか。猫が座り込んでいるのがみょうに寛ぎ感を醸しているのが面白い。 返信
>高架の支柱倒るべからず阪神忌 当時、私は千葉の田舎に住んでいました。震災の翌日、新幹線で故郷の広島に帰る予定だったのですが、ニュース映像で、なぎ倒された高架の支柱がを見た時の驚きを今もおぼえています。 >忸怩たる汗のごとしよ露の玉 あれだけ暑かった夏も終わり、ほっと一息というところでしょうか。 >穴に入る前かなへびのボルダリング これが蛇だとボルダリング感がないですよね。 >冷ややかや出征兵士は華と散り お国のためという言葉ほど無意味なものはないと思います。 国があるから人がいるのではなくて、人がいるから国があるのですから。 >燈籠を守る猫ゐて恙なし この猫は本気で見張りを全うしていますw 返信
のうそうさん こんにちは。コメントありがとうございます。阪神淡路大震災はもう24年前のことなんですねえ。壊れた高架の端に車がかろうじて止まっている写真はインパクトがありました。朝露でしょうか、雨上がりなのでしょうか、清々しいとも思える写真です。3句目はかなへびだからのボルダリングですよね、足があればこそです。4句目の古ぼけた写真館は趣がありますねえ。歴史を感じます。5句目の猫はいい場所を見つけましたねえ。 返信
高架の支柱倒るべからず阪神忌 /勝美 写真は飯田橋近くの神田川にかかる橋からの風景。 いかにも頑丈そうな建造物と、樹木や川面の柔らかな佇まいの 対比が面白くて撮ったのですが、阪神忌に思いが飛ぶとは意外でした。 じつは写真だと動きが分からないけど、水面の反射が高架の裏に映って揺らいでる様が、頑丈な人工物も自然の仲間入りしてる感じがして面白かったのです。 忸怩たる汗のごとしよ露の玉 /勝美 いや、なんで睡蓮が恥じ入ることがあるの?? と思ってしまったのですが。 でも言われてみれば、玉のように汗かいてますね。直前まで降ってた雨だと思うけど…。 期待なしに入ったフラワーパーク、こんな鮮やかな色とりどりの睡蓮が出迎えてくれて、 ワクワクしっぱなしでした。この色使い、普通しませんよ!!! 穴に入る前かなへびのボルダリング /勝美 登ってますか!見立てが面白いね。 冬眠前にひと運動しとくか、みたいな? なんて向上心のあるカナヘビ。 本当はただそういう模様の地面を這ってるだけだけど。 冷ややかや出征兵士は華と散り /勝美 ああ、そうですね〜。そういうこともあったに違いない…。 古びた写真館から思いを馳せさせたんですね。 足利は、いいかんじに寂れた(といったら地元のひとはどう思うか)一角が 結構あちこちに残ってて、意外にみどころのある町でした。 燈籠を守る猫ゐて恙なし /勝美 これは鑁阿寺の境内にある灯篭。 ふとみると、当然のような顔して猫が収まってる。 猫が安心して暮らせるかどうかが、その地域の住みやすいを表す、が 持論の私は、この句には大納得! 返信
あわさん コメントありがとう。阪神淡路大震災で倒壊分断した橋梁に車が墜落しそうに踏みとどまっている映像は衝撃的でした。再びあって欲しくないと痛感した次第。蓮に溜まった朝露か雨のしづくかを忸怩たる汗にたとえたのは蓮の花に失礼でしたかねえ。美しく咲いて忸怩はないでしょうねえ。かなへびの写真は当然地面を写したものと判断できますが、垂直の壁と見立てました。ただの蛇ならボルダリングはありえないところですね。出世兵士はどんな思いで華と散っていったのでしょうか。多分お国のためという呪文に縛されて死んでいったのでしょうか。写真館は生前の記念写真を撮りためているのでしょうかねえ。灯篭に居座って目を光らせている猫のふてぶてしい顔がなんとも不敵ですねえ。面白い写真で楽しませていただきました。 返信
今回のタイトルは「それぞれの営み」。一句目の一直線の橋脚の柱列は1995年1月17日の阪神淡路大震災の三ノ宮の崩れている橋脚を想起した。季語としては冬に属するのであるが、あえて画面と想像とを優先させて阪神忌をぶち噛ませた。二句目の写真を拡大すると汗のように露が玉なしている。花のかんばせに似つかわしくない汗の玉はどうしたことかと。三句目のかなへびはとかげの仲間だが見るからに小型の蛇。おしゃれにボルダリングにいそしんでいるかに見える。四句目は写真館らしい。営業しているのかわからないが、この古さからすれば戦時中は出征兵士が形見に替えて記念写真を撮ったのではなかろうかと思った。人生の歴史が込められているかに感じた。五句目は足利のどこぞの神社であろうか。猫が座り込んでいるのがみょうに寛ぎ感を醸しているのが面白い。
>高架の支柱倒るべからず阪神忌
当時、私は千葉の田舎に住んでいました。震災の翌日、新幹線で故郷の広島に帰る予定だったのですが、ニュース映像で、なぎ倒された高架の支柱がを見た時の驚きを今もおぼえています。
>忸怩たる汗のごとしよ露の玉
あれだけ暑かった夏も終わり、ほっと一息というところでしょうか。
>穴に入る前かなへびのボルダリング
これが蛇だとボルダリング感がないですよね。
>冷ややかや出征兵士は華と散り
お国のためという言葉ほど無意味なものはないと思います。
国があるから人がいるのではなくて、人がいるから国があるのですから。
>燈籠を守る猫ゐて恙なし
この猫は本気で見張りを全うしていますw
のうそうさん こんにちは。コメントありがとうございます。阪神淡路大震災はもう24年前のことなんですねえ。壊れた高架の端に車がかろうじて止まっている写真はインパクトがありました。朝露でしょうか、雨上がりなのでしょうか、清々しいとも思える写真です。3句目はかなへびだからのボルダリングですよね、足があればこそです。4句目の古ぼけた写真館は趣がありますねえ。歴史を感じます。5句目の猫はいい場所を見つけましたねえ。
高架の支柱倒るべからず阪神忌 /勝美
写真は飯田橋近くの神田川にかかる橋からの風景。
いかにも頑丈そうな建造物と、樹木や川面の柔らかな佇まいの
対比が面白くて撮ったのですが、阪神忌に思いが飛ぶとは意外でした。
じつは写真だと動きが分からないけど、水面の反射が高架の裏に映って揺らいでる様が、頑丈な人工物も自然の仲間入りしてる感じがして面白かったのです。
忸怩たる汗のごとしよ露の玉 /勝美
いや、なんで睡蓮が恥じ入ることがあるの??
と思ってしまったのですが。
でも言われてみれば、玉のように汗かいてますね。直前まで降ってた雨だと思うけど…。
期待なしに入ったフラワーパーク、こんな鮮やかな色とりどりの睡蓮が出迎えてくれて、
ワクワクしっぱなしでした。この色使い、普通しませんよ!!!
穴に入る前かなへびのボルダリング /勝美
登ってますか!見立てが面白いね。
冬眠前にひと運動しとくか、みたいな? なんて向上心のあるカナヘビ。
本当はただそういう模様の地面を這ってるだけだけど。
冷ややかや出征兵士は華と散り /勝美
ああ、そうですね〜。そういうこともあったに違いない…。
古びた写真館から思いを馳せさせたんですね。
足利は、いいかんじに寂れた(といったら地元のひとはどう思うか)一角が
結構あちこちに残ってて、意外にみどころのある町でした。
燈籠を守る猫ゐて恙なし /勝美
これは鑁阿寺の境内にある灯篭。
ふとみると、当然のような顔して猫が収まってる。
猫が安心して暮らせるかどうかが、その地域の住みやすいを表す、が
持論の私は、この句には大納得!
あわさん コメントありがとう。阪神淡路大震災で倒壊分断した橋梁に車が墜落しそうに踏みとどまっている映像は衝撃的でした。再びあって欲しくないと痛感した次第。蓮に溜まった朝露か雨のしづくかを忸怩たる汗にたとえたのは蓮の花に失礼でしたかねえ。美しく咲いて忸怩はないでしょうねえ。かなへびの写真は当然地面を写したものと判断できますが、垂直の壁と見立てました。ただの蛇ならボルダリングはありえないところですね。出世兵士はどんな思いで華と散っていったのでしょうか。多分お国のためという呪文に縛されて死んでいったのでしょうか。写真館は生前の記念写真を撮りためているのでしょうかねえ。灯篭に居座って目を光らせている猫のふてぶてしい顔がなんとも不敵ですねえ。面白い写真で楽しませていただきました。